戦後直後の勝山の航空写真

画像

国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」というのがあります。日本各地の空中写真を無料で閲覧できるというもので、年代別に沢山の写真が掲載されていました。

こちらは昭和21年に米軍が撮影した勝山の航空写真です。今よりも住宅件数が少ない分、地域の成り立ちが明確にわかります。

勝山の幹線は国道127号線、戦時中に本土決戦に備えて戦車も通れる道を急いで整備したもので、内房線の線路とほぼ平行に通っています。

・・・というより山が海岸近くまで迫っているので他に道を通せないという感じです。現代の館山道は山側を幾つもの橋梁とトンネルで貫通していますが、昭和の時代にそこまでやるのは無理というものです。


駅から見て山側に田んぼが広がっているのは今と変わりませんが、海側の景色は大分違います。現在の勝山は大六から竜島勝山に掛けて国道より海側に住宅地が広がっており一体となっていますが、昭和21年当時は大六~竜島間竜島~勝山間は分断されています。

そういえば竜島勝山の間は今も住宅地の中に畑が点在していますが、これは当時の名残だったのですね。

勝山には勝山漁港があって商店街もあり、水産業と商業が中心。それに対して竜島大六海岸勝山海岸の2つの中心にあることから、海水浴客を目当てにした農業と観光業が中心だったのではないでしょうか?

東海汽船竜島に寄港しており、いくつも民宿や釣り具店が現在でも集まっているエリアですので、その可能性は高そうです。


国鉄の安房勝山駅勝山竜島の中間に位置しているというのも面白いですね。鉄道の開通は大正6年で、既に海水浴客が大量にこの地域に訪れていました。

町の中心街である勝山に駅を置くとレジャーにきた観光客には不便、かといって竜島に駅を置くと地元住民が不便。結果、中間点に駅を設置したということでしょう。

我が家のあるのは竜島で、商店街に買い物に行くとき「町まで買い物に行く」と普通に使っていましたが、それは本当に町まで行っていたのですね。住宅街の中を15分程と歩くだけなので全然気付きませんでした。

竜島大六の間は山塊が海岸までせり出して分断されています。勝山海岸を散歩中、地元のおじいちゃんに話しかけられた時に「昔はここが保田と勝山の境界だったんだよ」と教えてもらいましたが、確かに納得できる地形です。

平野部の奥には下佐久間の集落があります。ここまでが勝山町で、この写真の奥に中佐久間上佐久間を含む佐久間村が独立しています。佐久間村は昭和30年に勝山町と合併、更に昭和34年に勝山町保田町と合併して鋸南町誕生となります。



ランキングに参加しています。よろしければクリックをお願いします。
にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 千葉 その他の街情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
にほんブログ村

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック