海水浴の始まり 明治大正のリゾートブーム

日本の海水浴の発祥は明治18年に松本順大磯で海水浴を始めたという説と、明治22年の夏目漱石保田を訪れたのを始めとする説の2つがあるようです。

いずれにしても明治20年代から海水浴という文化が始まっていくという事になります。

明治28年にはアメリカの海水浴場設置マニュアルが紹介され、救難用のロープや部位によって郵政区画を定めること、救難船やライフセイバー、医師を配備することなどが書かれています。

一方で暑さから逃げる避暑などは人間をダメにする、勤勉に働けという教育家や文人の海水浴批判などもあったそうです。「大磯を知らざるを恥とす。されど富士の絶頂を踏まざるを恥とせず」という風潮を批判して鉄道や馬車による快適な旅ではなく自然の中に分け入って行う旅を行うべきだということだそうです。


明治33年に書かれた関貢米の『緑蔭泉響』には海水浴場についての紹介が載っています。面白いので片瀬(江の島)北条(館山)についての記述を引用します。

<片瀬海水浴>
旅館の重なるものは柏屋なり・・・一日の宿料五十銭より七十五銭迄とす、其他は皆村民の一室を借り受け一週亦は一ヶ月幾許と取極めて下宿す、毎年八月一日頃より九月十日頃迄、学習院の海水浴場となる、故に村民の重なる家屋と寺院とは、此等学生の宿所となり、事務所となり、酒保となる、東京附近に於て最も便利にして学生に適したるの地は、片瀬、腰越、 沼の三ケ所となす、大磯の如きは繁華にして遥かに便利なりと雖も、之貴族的にして物価総て高値なるのみならず、沿客の多数は婦人俳優、紳商、貴族的人物多く、殊に其浜海の浴場の如きは壮なり、大なりとの風致なし、之れ我輩の学生に不適当となす理由なり

<北条海水浴>
・・・房州行汽船に乗るべし、好天にして風静なれば、四方の風景を眺めつゝ、心安く航海し得べしと雖も、少しく風出て海荒れたるときには、小汽船のことなれば非常に動揺す、故に婦人病人等は天気を見賞めて乗るべし、午前七時越中島を出帆し正午には館山に着すべし、北条は館山の町続にして海水清潔而も浅浅にして、危険の憂いなければ婦人病人等には最も適当なる浴場ありと念ふ、旅館の最なるものは浜通りの木村屋なり・・・殊に其宿泊料の他浴場に比して非常に低廉なるに於てをや・・・総て物価の低廉にして便達其宜しきを得れば学生の避暑場として最も適当なる所なりとす


房州航路での館山東京から半日で到着し、物価も非常に安いという事でオススメとされています。ただし小さな汽船で行くので船酔いに注意です。

片瀬も悪くないようですが、大磯は発展しすぎてダメとされているのが面白いですね。


同じ明治33年の『小学新読本 女子用』には海水浴という項目を設けて以下の記述があります。

夏にいたれば、海水浴におもむく人多し。海水浴は、人の身體を、ますます強壮ならしむる効あり。海水浴場は、東西にむかひて、西北の風をうけず、気候の変化少なき、遠浅の海岸を、よしとす。潮の干満はげしく、又は、波のつよく寄する所は、危くして、よろしからず。
 海水に浴するには、大なる帽子をかぶりて、日光をさへぎるべし。時間は、午前八時より、同十一時までを、よしとし、一度は五分より、三十分までの間を、適度とす。強壮の人は一日に、二三度浴するも、害なしといへども、通常の人は、一度にて可なり。
 浴しをはらば、直ちに、かわける布を以て、全身をこすりつゝぬぐふべし。
始めて、海水に浴するときは、皮膚赤色となりて、かゆみを覚ゆることあり。これ、鹽分の作用によるものなれば、日を経るに従ひて、おのづから癒ゆべし。
 海水に浴しをはりて、木かげを散歩し、清き小ざしきに起き臥しゝて、海辺の新しき空気を吸うは、まことに楽しきものなり。


日焼け対策に帽子をかぶるとか、遊泳時間を30分までとしていたりとか注意が細かい(笑)
日焼けして赤くなるのを太陽ではなく塩分の作用のためとしているというのも面白いものです。


最近では事故を避けて臨海学校が徐々に行われなくなっているようですが、この臨海学校が始まったのも明治後半となります。明治43年の『広島高等師範学校附属中学校一覧』には学校の指導方針についていろいろ説明があるのですが、「第一篇 生徒ノ教育」の中にこんな記述があります。

臨海授業ノ目的ハ主トシテ遊泳ノ技能ニ熟セシメ身體を強健ニシ、精神ヲ活発ニシ、兼ネテ諸教科ノ復習又ハ教授ナラシ師弟間ノ情誼ヲ厚クシ、以テ校風発揚ノ資トスルニアリテ当校訓育上ノ必要ナル一機関トセリ毎年夏期休業中初メノ二週間ヲ以テ之ニ充ツ実施以来今年ニ至ルマデ既ニ四回、広島県下ニ於テ二回、愛媛県、大分県ニ於テ各一回之ヲ行ヘリ蓋シ三状ノ炎熱ニ暑ヲ白浜青松ノ海岸ニ避ケ日ニ波浪ト闘ヒ時ニ名勝ヲ探リ或ハ読書ニ或ハ運動ニ青年ノ元気ヲ活躍セシメ得ルハ最モ適当ナル夏期休暇ノ利用法ナリ三学年生以下ノ生徒ニハ事情止ムオ得ザルモノゝ外ハ皆出向セシメ四学年以上ニハ成ルベク出向ヲ勧ム費用ハ従来ノ例ニ徴スレバ二週間往復ノ旅費共ニ五円内外ナルガ将来月賦ヲ以テ徴収シテ出向者ノ一時負担ヲ軽カラシメン考ナリ

身体を強健にすると同時に夏休み中の気分をリフレッシュさせ、教師と生徒の間のコミュニケーションを円滑にすることも目的とされています。

画像

大正時代には館山駅前に民宿や貸別荘の案内所が設置されたり、脱衣場や休憩所、麦茶提供サービス、花火、果ては映画、浪花節、狂言などのイベントなど非常に充実した観光産業が成立しています。

大正11年に鎌倉の由比ヶ浜の海水浴客は1日平均1,000人から1,300人程度であったところに、館山は1日平均なんと6,000人に達しており、関東最大の一大リゾートでした。




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