足利尊氏にも由来がある大黒岩の寺院群

大黒岩の麓には4つの寺院が集まっている区画があります。いずれも南北朝時代の創建と思われ、700年の歴史がある寺院です。

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臨済宗建長寺派 大黒山大智庵は御堂の周りにお墓があるという構成です。案内板などは特にありませんでした。

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大隆山法福寺大智庵の隣にある臨済宗建長寺派のお寺です。宗派は大智庵と同じですが、どういう関係なのでしょう? こちらも案内板などは特にありませんでした。

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法福寺の奥にある急な階段を上っていったところにあるのが海光山長谷寺です。こちらは安房の国札三十四カ所観音霊場巡礼六番札所となっています。足利家の丸に二両引きの家紋が寺紋になってます。

こちらには案内板が設置されていました。

長谷寺(通称 堂山の観音堂・おつげ観音)巡礼国札
本尊十一面観世音菩薩。鎌倉長谷寺にて745年行基が開眼、600余年信奉を集めた霊像。足利尊氏公が深く信奉帰依し、像の永存を念じ、1347年当山に奉還。
二ツ引き両は足利家の家紋。下の本堂は法福寺。


わざわざ鎌倉の長谷寺から観音様を持ってきたと言うのは凄いですね。これは観音巡礼の中に入るわけです。納得です。

1347年という時期は南北朝の動乱の真っ最中であるので、地盤である東国を固める為に、鎌倉の近くにある勝山の地を確保するという政治的な意味もあったのかなと思います。ただこの時期の尊氏は政務を部下たちに任せ、自分は仏教にはまって引きこもり状態だったので純粋な宗教心からということかもしれません。

いずれにしても鎌倉幕府の有力御家人から室町幕府の将軍になった足利尊氏の頭の中に勝山の地がしっかりインプットされていたことは確かです。


おつげ観音のいわれ
元禄16年(1703年)の大津波。この時堂山に逃げていた醍醐新兵衛は大慈大悲の慈顔溢れる観音様より「ここから逃げろ」のお告げを聞き船で妙典寺高台に避難し、一命を得たと言います。
 ご守護と運長祈願により「お告げ」があるといわれています。


高台にあるここまで津波が来たというのはちょっと信じられない気がします。海辺の町ですので古来より何度も津波に襲われた歴史があるのでしょう。別記事にしようと思っていますが、鋸南町が作成したハザードマップで想定を超える10メートルの津波が来た場合の浸水予想が、ことごとく神社ぎりぎりのラインまでとなっていることに驚きました。

房総半島では大正12年の関東大震災よりも元禄地震の方が津波被害が大きかったと言われており、元禄地震についての記憶はこの町に深くしみついているように思います。


安房の国札三十四カ所観音霊場巡礼は安房国札観音霊場会がHPを作成しており、ここに各寺院の由緒が説明されています。
安房国札観音霊場巡り 第六番長谷寺 http://awa-junrei.jp/history/06hasedera/


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長谷寺の脇にある階段を下りたところにあるのが水月堂です。場所としては大智庵の奥ともいえます。

こちらも安房の国札三十四カ所観音霊場巡礼番外に入っています。
長谷寺と同じく案内板が設置されています。

水月堂(通称 身代わり千手観音)巡礼国札番外
1355年創建、元禄の大津波(1703年)により流出
1710年3代醍醐新兵衛明定が元禄の大津波で死亡した多くの人々の供養と助かったことや、仏に感謝するため、守護を念じ大慈大悲の千手観音立像を制作寄進。通称「身代わり観音」とよばれるようになりました。


安房国札観音霊場巡り 番外水月堂 http://awa-junrei.jp/history/37suigetudou/





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