勝山の氏神 加知山神社

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加知山神社勝山の氏神様です。境内に説明文が無いのでいつごろ創建されたのかは分かりませんでしたが、こちらのページに由緒が書かれていました。

南房総花海街道:http://etabi.boso.net/?p=558

加知山という文字は、明治になって勝山藩となった時、福井の勝山藩と混同しないために加知山藩と表記されたことに由来しますが、それ以前から加知山という字が当てられる場合もあったそうです。

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鳥居の脇には「郷社加知山神社」という立派に記されており、下には加知山魚商組合の文字がありました。更に脇には日本橋魚問屋としるされており、これと同じくらい古い境内の灯篭に大正15年とあったので、それくらいの時期に勝山で取れた魚を東京に出荷している繋がりがあったのだと思われます。

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社殿は落ち着いた雰囲気でとても静かです。

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社殿の脇には日露戦争記念碑があり、よく見ると"元帥侯爵大山巌"とありました。なんと大山元帥の揮毫によるものです。裏に回ると階級と兵科別に人の名前と勲何等といった文字が見えるので、町から出征した人の名前を入れて記念碑を建てたのだと思います。

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その隣には漢文で何やら碑があり、説明書きを読むと野呂道庵の顕彰碑のようです。
野呂道庵は幕末に勝山藩に召し抱えられた儒学者で、明治元年に開設された藩校「育英館」で勝山藩士のみならず一般の平民にも門戸を開いた教育を行った人物です。廃藩置県によって育英館が閉鎖された後も私塾を開き、教育活動を継続します。門下生には明治の安房郡を担った人材が多数輩出されたとのこと。


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境内にはほかにも鯨塚があり、捕鯨が盛んだったころの勝山を偲ばせます。加知山神社勝山の捕鯨の祖である醍醐新兵衛が還座したので、鯨塚があるのは納得できますね。案内板にはこのような説明がありました。

加知山神社の鯨塚
鯨組220年の歴史の中で、竜島(板井ヶ谷)の鯨塚は120基。
それ以前は醍醐家ゆかりの加知山神社(旧称:牛頭天王)弁天様の下に100基ほど鯨塚があったものと思われます。


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鯨塚の脇にある小さな鳥居をくぐって、細くて小さな階段を上っていった岩山の上が弁天様なのですが、藪が凄いのと階段が崩壊しかかっているので、今回は上るのを遠慮しました。真冬に来れば少しは上り易いと思います。。




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  • 野呂道庵の話

    Excerpt: 加地山神社にあった野呂道庵について検索してみると鋸南町報のアーカイブがありました。 Weblog: のんびり勝山生活 racked: 2017-10-28 10:52
  • 勝山名物! 重田のジャンボどら焼き

    Excerpt: 加知山神社の隣にあるのが重田菓子店です。 Weblog: のんびり勝山生活 racked: 2018-01-18 21:57