源頼朝の安房上陸と平定に至る話

治承4年(1180年)8月17日、源頼朝は伊豆で平家打倒の兵を挙げ、伊豆国目代・山木兼隆を打ち取ります。

伊豆を制圧した後、相模へ向かった頼朝軍ですが、呼応して挙兵した三浦氏の軍勢と合流する前に、8月23日石橋山の戦いで平家方の軍勢と戦いになり敗北します。

この時、頼朝軍は300、対する平家軍は3000と言われています。

敗北した頼朝は山中を逃げ回り、5日後の8月28日に真鶴岬より船で安房国へ脱出します。

三浦半島で兵を挙げた三浦氏も石橋山の戦いの3日後、8月26日に衣笠城合戦にて敗北し、三浦義明は討死します。

頼朝と三浦氏は各個撃破された形になりましたが、いずれも相模から安房へと脱出します。

安房には丸御厨があり、ここは前九年の役で活躍した源頼義が恩賞として朝廷から賜った領地でした。

もちろん流人の頼朝が支配している訳ではありませんが、源氏に縁の深い武士たちが多く、体勢を立て直すにはもってこいの場所であるのは間違いありません。
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頼朝が安房に上陸したのが現在の鋸南町勝山竜島になります。
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先発していた北条時政らが近くの旗立山(行山)に源氏の白旗を立て、それを目印にして竜島に上陸したのが8月29日と言われています。

旗立山はダイヤパレスのマンションと国道の間にある小山で、中腹には修験者のお墓があることから行山とも言われています。
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頼朝はこの竜島の八王子神社神明神社で戦勝祈願を行いました。

この時、地元の人々が「我々を家臣に加えて下さい」と願い出て、頼朝が「そうか」と答えたので、名乗り出た人に左右加という姓を与えました。

この左右加家は神明神社の神主を江戸時代末まで務めていたそうです。地元の名士でした。

他にも貝を献じたものに生貝、エイを献じたものに鰭崎、家に小松生い茂るものに松山、その他柴本、菊間、中山、久保田の姓が与えられ竜島七姓と言われています。この竜島七姓の末裔の若い女性たちが頼朝まつりに振り袖姿で参加していたのは印象的でした。

また船頭として従ったものに艫居、間、渡の姓を与えました。



鋸南町のHPなどでは、村人に対して頼朝が「お前たちに安房一国を与えよう」と言ったところ、村人は粟1石と勘違いし、「粟なら家の畑で取れます。それより姓を下さい」と答えたので、頼朝は「そうか、馬鹿だなあ」と言ったところ、村人がまたまた勘違いして左右加、馬賀と名乗ったというエピソードが紹介されています。

微笑ましいというか、間抜けなエピソードで面白いのですが、後述する江月のエピソードの事を考えると、こっちは後の世の創作という気がします。


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頼朝が上陸した竜島は迅速測図で見るとこちらです。保田郷佐久間郷が古代には開けており、その中間にある吉浜には律令時代の街道の駅が設けられていました。

吉浜はそれなりに栄えていた場所だったので、敗残の頼朝がいきなり上陸すると平家方に捉えられてしまう可能性がありました。

そのため亀ヶ崎を挟んだ反対側で人口の少ない竜島(当時は18戸だけの小さな集落だった)に上陸して様子を見たと思われます。

頼朝は安房上陸を果たしたものの、敗残の身ゆえ安房の豪族たちは心情的には源氏寄りとはいえ、様子見を決め込みます。


9月3日、頼朝軍は竜島を出発し、現在の鴨川市へ向かいます。ここには平家方の長狭常伴がおり、これを一戦場の戦いで撃破したことで、ようやく安房の豪族たちが頼朝の元に集まり、頼朝軍の体制が整うことになります。

この時、竜島から鴨川へ向かう頼朝軍が通ったのが現在の長狭街道ですが、ルートが違いました。

現在の長狭街道は青色頼朝軍の進撃ルートは赤色で示しています。

吉浜から江月の山中を通り、そこから山を越えて市井原、更に大崩を経て鴨川市の平塚、大山、そして長狭へと至ります。

江月では地元の人から名馬「池月」を献上され、お礼に頼朝は馬賀の姓を贈りました。馬賀家は江月の鎮守である鶴ヶ峰神社の神主でした。

更に江月には頼朝が池月を献上されたお礼に舞を舞った場所だと伝わる武台、池月がいたと伝わる馬ノ住という地名が小字として残っています。池月をつないだとされる馬つなぎ石も現存しています。

また、現在市井原に住む人々は、負傷して頼朝軍についてこれなくなって、この土地に住み着いた人の子孫と言われています。

更に大崩には源氏ヶ谷という地名が残されています。(ちょうど水仙まつりで歩いた付近が源氏ヶ谷です)

地図を見ればわかりますが、現在長狭街道の通る横根は山が険しく、平地という点では鎌倉時代のルートの方が通り易そうだということが分かります。

ちなみに横根村が誕生したのは江戸時代中ごろの1700年頃とされており、保田川の先、小保田付近で袋小路になるというのが昔から言われていた保田の地形とのこと。市井原、横根に人が住んで道が通るのは比較的最近(といっても200-300年経っている訳ですが)の話なのです。



一戦場の戦いの翌日、9月4日に地元有力豪族の安西景益が頼朝の元に参陣し、頼朝は安西館のあった三芳平松城に入ります。

安房国府に近い安西館を拠点にして上総氏や千葉氏に使者を送るなどの外交活動を行い、9月13日に安房を出立して房総半島を北上、1か月後の10月6日には鎌倉に入り関東で己の勢力を確立します



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