鋸南町の戦争~本土決戦と南房総②~

昭和20年の3月10日には東京大空襲があり、沖縄戦も始まり、いよいよ本土の危機が増してきた4月8日、東京湾守備兵団が編成され、担当地域内の全陸軍部隊に対する指揮権が東京湾要塞司令官に与えられました。

東京湾守備兵団には5月6日に茂原に展開していた歩兵第147師団から歩兵第427連隊が編入されました。

6月19日、いよいよ本土での最終決戦が近づき、東京湾守備兵団は東京湾兵団と改称。伊豆大島が担当範囲から外れると共に、新たに歩兵第354師団、独立混成第114旅団が隷下に編入されます。

陸軍は本土決戦に備えて150万の兵力を3回に分けて動員し、これらの部隊は5月23日の第三次兵備による動員部隊です。

いわゆる「根こそぎ動員」というやつで、満足な武器が行き渡らず竹やりが配備されたとか、日露戦争時代の兵器を引っ張り出してきて使ったというエピソードはこれらの部隊にまつわるものです。

陸軍の精鋭は満州や支那大陸、南方戦線に出払っており、病気や体力に問題があったり、年齢が高い兵士ばかりになっていました。

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こうして編成された東京湾兵団のうち、独立混成第114旅団は三浦半島の守備を担当したので、南房総に展開したのは歩兵第354師団、独立混成第96旅団、歩兵427連隊及び東京湾要塞の砲兵隊が中心となります。1個師団+1個旅団+1個連隊となると兵力は2万5000人前後ではないかと思います。
(※こちらの記事に展開していた兵力が載っていました。三浦半島の114旅団が含まれているのでちょっと怪しい感じですが、部隊兵力を素直に信じると354師団が11,903名、96旅団が6,247名、427連隊が3850名となります。)


東京湾兵団の任務は上陸してくる米軍を水際で殲滅すること、および東京湾内に侵入しようとする敵艦の阻止でした。

7月15日に発せられた房作命甲第一号に東京湾兵団の作戦方針が書かれています。

東京湾兵団は主力を館山地区に展開して米軍の上陸に備えます。
歩兵第354師団及び歩兵第427連隊:千倉
独立混成第96旅団:平砂浦、洲崎


これとは別に、隷下の部隊を組み合わせて3つの支隊が編成されます。
鴨川支隊
金谷支隊
船形支隊


このうち館山以北の鋸南町を含めた内房地域を担当したのが金谷支隊になります。
金谷支隊の任務はこのように記されています。

浦賀水道ノ阻止射撃ニ任スルト共ニ一部ヲ以テ、岩井、保田、湊、富津附近ヲ警戒スへシ

金谷支隊の内訳は以下の通りです。

金谷支隊
長 陸軍少佐 臼井直助(東京湾要塞第一砲兵隊長)
東京湾要塞第一砲兵隊(第二、第三、第四中隊欠)
独立歩兵第655大隊ノ一中隊

1個中隊というと兵力は200名程度、富津から館山の手前までを担当するには少なすぎると思うのですが、やはりこの地区は米軍の上陸よりも敵艦の東京湾内への侵入阻止を目的としていたようです。


よく考えてみれば岩井から館山までの間は山がそのまま海に落ち込んでいるような地形で、上陸に適した海岸はあまりありません。館山の砲台からの砲撃をかいくぐって岩井に来ても、対岸の三浦半島からの砲撃にもさらされるので、上陸作戦ができるような場所ではないということでしょう。

兵員輸送船1隻で数百人から千人を超える人間が載っているので、この船の安全は絶対に確保しなければなりません。左右から砲弾が降ってくる中での上陸作戦など論外です。



鴨川支隊の役割はこのように書かれていました。

状況真ニ止ムヲ得サル場合ニ於テモ坂下北方地区ニ於テ敵ノ飛行場設定及使用ヲ妨害スルト共ニ板屋附近及清澄山系ニ於テ敵ノ前進ヲ阻止スヘシ

簡単に言えば「撤退してもOK、ただし山岳地帯で敵を足止めせよ」ということです。

鴨川への米軍上陸は想定されていても、長狭街道(横根峠)を超えて東京湾側に侵攻するには険しい地形を突破する必要があり、保田から海岸線を南下して館山に向かうには、またしても険しい山道を突破する必要があります。

北上して富津の砲台を占領するには鋸山を越えなければなりません。どっちにしてもリスクを冒す割にメリットが少ないという判断なのだと思います。

それでも鴨川支隊は独立歩兵655大隊に加え独立歩兵659大隊から1個中隊、他に砲兵隊などが加わっているので1,500-2,000名位の兵力であったのだと思われます。


船形支隊は火砲の援護と敵が館山湾に上陸してきた場合の上陸阻止ですが、ここは既に東京湾要塞の砲台軍の射程圏内であり、直接上陸は余り想定されていないと思われます。千倉に主力を展開していた歩兵第427連隊から第四大隊を引き抜いて、これを中心として船形支隊は編成されていました。

やはり東京湾要塞の外縁である館山を要塞の背後である千倉/丸山方面から襲うのが第一、洲崎の砲台からの脅威はあるものの平砂浦から直接侵攻するのが第二のルートだったのでしょう。



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