南無谷岬の道を考える

南無谷岬の集落を歩いてみて、この地域の交通事情について調べてみました。

現在、房総半島の東京湾側を木更津から館山に向けて結んでいる国道127号線。この道は古代から延々と利用されてきた幹線ですが、当然ながら時代ごとにルートの移り変わりがありました。
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こちらの地図は明治19年に作成された迅速測図です。何度か歴史関係の記事で利用させてもらっていますが、こういう情報がネットから気軽に取れるのは本当に便利です。

作成年から分かる通り明治初期、安房地域の交通網の整備はまだ手つかずの状態で、基本的には江戸時代と変わりありません

1)房総往還ルート
江戸時代の房総往還が現在の国道127号線の先祖となります。このルートは岩井から平久里へ抜け、そこから犬掛、滝田を経て三芳から館山平野に入るというものでした。

岩井平久里は合併の結果、富山町となりますが、これは南房総の名峰富山に由来しています。富山を挟んで海側富山側が一緒に合併したということ

今の感覚では、なぜ内陸の平久里と一緒になったのか不思議に思っていましたが、江戸時代の主要街道ではお隣さんであったのですね。

富山を挟んで南北2つの道がありますが、房総往還になっていたのは南側。現在北側が主要地方道県道89号線で幹線扱いになっていますが、実際に通ってみると南側の方が勾配が緩やかで人家も多いので、歴史的にこちらがメインになったのも納得です。

逆に岩井富浦は険しい南無谷岬の山岳地帯に阻まれて交流が活発ではなかったと思われます。

ちなみに戦国里見氏の時代の天分の内訌においては、保田の妙本寺合戦に勝利して制海権を握った里見義尭軍が平久里から館山平野を目指して進軍し、それを防ぐ里見義豊との決戦「滝田・犬掛の戦い」が発生しました。

滝田城については以前の記事にUpしましたが、地図上薄い青で描かれている平久里川と増島川との合流地点にあります。

数千の軍勢を引き連れて南無岬の険しい山道を突破するのは無理と見られていたのでしょう。

2)木の根峠ルート
そうは言っても内陸をぐるっと大回りする房総往還は時間のロスが大きいのも事実です。

そこで房総往還には近道が2つありました。そのうちの1つが岩井の高崎村から木の根峠を超えて丹生村に至るルートで、地図上の真ん中のルートになります。

幕末に江戸湾防衛の必要性を説いた松平定信が房総沿岸を巡視した際は「保田といふあたりより、水仙いと多く咲きたり。今日は木の根を越ゆといふ。輿のやりがたき所は徒歩もて行かむといひて、ここぞとて歩き見たるが」と日記に書き残しているそうです。

大房崎には幕末に砲台も設置されていましたので、沿岸防衛ということを考えると富浦を無視するわけにはいきません。

戦国里見氏も居城を富浦にある岡本城にしていましたので、参勤交代の際は木の根峠を超えるルートを使って行き来したとのこと。

そうは言っても輿に乗れずに殿様が歩かなくてはならなかった位、険しい道で標高差も100メートル以上ありますので、メインストリートにはなかなかなれないのでしょうね。

丹生は尾根を挟んで隣の大津と同じく、現代の道路地図上は袋小路で難しい場所だなと思っていましたが、歴史的に果たしてきた役割は決して小さなものではなかったのですね。

今は県道も通っていない木の根峠ですが、道路改良の一環として明治時代に木の根隧道が開通しており、このトンネルは現在も使用されています。
(後日、木の根峠の現在の姿を見に行きましたので、その内容は追って記事にします)

また21世紀になって開通した館山自動車道はこの木の根峠を長大なトンネルで貫通しており、100年以上たって復活したと言えるのかもしれません。


3)南無谷ルート
岩井の最も南にある小浦から南無谷岬を通って富浦に行くルートです。これが現代の国道127号線となっています。

地図上、薄い赤で記されたのが国道127号線ですが、現代の国道が海側を通っているのに対し、明治の南無谷ルートは山側を通っています

明治初期に使われていた南無谷ルートには現在内房線の鉄道が通っています。工事に際して今ある道を利用して資材の搬入などを行ったのだと想像されます。

岩井富浦を結ぶ岩富トンネルが作られており、これは結構な長さがあります。

木の根峠の方が標高差があるので、こっちのルートの方が良いように思うのですが、房総往還の抜け道として参勤交代で使われた位ですから「難所であっても南無谷間道よりはマシ!」というような評価だったのかもしれません。

地形を見ると険しい尾根に挟まれるようにして道が通っているので、落石や土砂崩れで長期間にわたって封鎖されることもあったのだと思います。
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さて、歴史的なルート3つを調べたところで、今度は国土地理院で3D地図を作製しました。地形の特徴がはっきり分かるので最近愛用しています。

南無谷岬を中心にした3D地図で3つのルートを示しています。一番右が木の根峠を通るルートで、館山道がこの道を使っています。

真ん中が内房線の使っている旧南無谷間道。一番左の赤線が国道127号線です。

岩井の平野が終わったところからググッと地面がせり上がって壁を形成しているのが良く分かります。

この壁からいくつもの尾根が枝分かれして富浦方面になだらかに広がっているのが南無谷岬の地形と言えそうです。

歴史的な2つのルート(青線)はその壁の低い所を探すと共に、峠を越えたらあとはなだらかに下って行くようなルートになっています。

それに対して海沿いを通る現代の国道(赤線)は広がった尾根をいくつものトンネルを掘ることでアップダウンを回避していることが分かります。

先日行った小浜石小浦の集落を迅速測図で見たときは、集落に1本も道が描かれていない様子に「えっ!?」と驚いてしまいましたが、こうして地形を見ると仕方がない。
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地図を拡大してみましたが、こういう訳です。(木の根峠の道は高い山の向こう側に隠れました)

現代の国道もできるだけ山の無い場所を通るようにはしていますが、トンネルを掘るしか仕方のない場所はどうしても出てきてしまいます。

トンネルを掘る技術や資金の無い江戸時代ならば、村同士を行き来する里道はあっても、これだけ尾根が連続して鋸の歯のように突き出している地形を好き好んで歩くことは無いでしょう

ブラタモリ的な歴史と地形の見方ですが、こういう風に体感できるというのは本当に楽しいです。


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  • 木の根峠の道を辿る

    Excerpt: 先日、南無谷岬の集落探訪で記事を連続してUpしました。その中で内房の幹線である国道127号線の歴史についても触れてきました。 Weblog: のんびり勝山生活 racked: 2019-02-10 00:05
  • 富楽里で筍掘りをやってきました

    Excerpt: GWの連休前半に富楽里でやっている筍掘りに行ってきました。 Weblog: のんびり勝山生活 racked: 2019-05-13 20:34