保田神社と空挺レンジャー

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ボランティアで鋸南町に来た人にとっては見覚えがあると思いますが、保田神社のご紹介です。国道から長狭街道に入り、内房線の踏切を渡った先にある神社で、台風の瓦礫集積場となったケアセンターすこやかの近くです。
保田神社2.JPG
立派な社殿と、その割に何もない境内が印象的ですが、祭りの際にはここで山車がでて大いに盛り上がる場所でもあります。

台風によって社殿も被災し、屋根にブルーシートが掛っているのは残念なところで、記事にUpするのは被災前でありたかったと思うところです。我が家からはクルマでないと行けないのに加え、保田の市街地の真ん中なので、わざわざ見てみようという動機づけが弱かったのです。

保田神社の起源は天文4年(1535)、保田の海中から上がった神鏡を日本武尊の御霊として祀ったことに始まります。天文年間というと武田信玄の信濃侵攻など、戦国時代真っ盛り。房総半島では里見氏の内乱である「天分の内訌」(天文2年)が発生しており、これに勝利した里見義尭が戦国大名としての里見氏を作り上げていく時期になります。

北条氏に対する最前線に位置する保田(妙本寺砦が近い)ですので、神鏡が上がったという出来事以外にも、神社に創建に政治的な背景があったのかもしれません。
保田神社3.JPG
保田神社4.JPG
社殿の脇に各種記念碑が集まっています。日露戦争記念碑征清記念碑(日清戦争)はどの神社に行ってもお馴染みといえます。

隣町に行くのにも山を越えて1日がかりのような地域の人々が、朝鮮/満州まで出陣するという感覚は、現代の我々が火星に行く位のインパクトがあったのかもしれません。
保田神社5.JPG
そして、こちらの「空挺レンジャー発祥の地」の記念碑。

鋸南町は空挺レンジャーの教育が毎年行われており、旧佐久間小学校をベース基地としています。今回の被災で最後まで町の支援に奮闘した第一空挺団との深いつながりがあるのは知っていましたが、昭和33年からのお付き合いなのですね。

鋸南町史の現代編でも、保田神社に訓練を終えて凱旋する隊員たちの写真がありました。最近では保田神社の名前は聞かなかったので、佐久間小学校へ移っていったのかもしれません。(それとも知らないだけで、今も保田神社なのでしょうか)

しかし昭和33年と言えば自衛隊に対する世間の風当たりが非常に厳しい時期です。この時に快く境内を提供した神社氏子の心を感じます。
鋸南町は現在、台風15号により町全体が大きな被害を受けています。
下記にて義捐金の受付を行っていますので、皆様のご支援をお願い致します!!

ふるさと納税:令和元年台風15号 千葉県鋸南町




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