幕末の悲劇を伝える妙典寺

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妙典寺浄蓮寺加地山神社の間にある日蓮宗の寺院です。
こちらは案内板があって由緒が説明されていました。

妙典寺は醍醐山妙典寺と号し、醍醐新兵衛家の菩提寺。
初代定明は田子の台妙典台に荒廃していた妙典寺を再興する為、
自己所有地700坪を寄進し、ここに移しました。


大黒岩の長谷寺の「おつげ観音」の伝説では元禄地震の際に醍醐新兵衛が船で妙典寺高台まで避難して助かったとされていますので、元禄地震で逃げた先が荒廃した妙典寺だったのでしょう。

それであれば妙典寺を私財を投じて再興した理由が分かります。境内には醍醐家代々の墓がありました。
醍醐新兵衛勝山捕鯨の祖であり、Wikipediaにも載っている人物です。

醍醐新兵衛:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%86%8D%E9%86%90%E6%96%B0%E5%85%B5%E8%A1%9B

ちなみに鋸南町のマスコットキャラクターとして醍醐新兵衛に由来する「しんべいくん」がいます(笑)



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境内にはもう一つ、勝山義士の顕彰碑というものがあります。

幕末戊辰戦争で勝山を戦火から救うため、犠牲となった勝山藩義士の碑。
請西藩(木更津市)藩主林忠祟と連携した旧幕府遊撃隊は義軍と称し挙兵、内房諸藩に援軍を求め勝山藩にも迫りました。
勝山藩は戦渦に巻き込むと言われ、苦慮の末31名を半ば公認、半ば脱藩の形で義軍に参加させ、箱根で官軍の大軍と激突。
戦死16名、戦傷10名、行方不明2名とほぼ全滅。
帰藩した藩士の代表2名も切腹を命じられました。
勝山を救った彼らの義を讃えるため建てられた碑です


幕末の遊撃隊については別に記事を起こそうと思います。思えば勝山江戸湾防衛の最前線です。直接の戦火はなかったものの、かなりの緊張を強いられた時代だったと思います。




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