捕鯨の歴史を物語る板井ヶ谷の鯨塚

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住吉飯店の裏手にある駐車場を奥へ奥へと歩いて行くと岩井袋に抜けていく道があります。狭い1.5車線程度の道を通りトンネル抜けると岩井袋の集落に入ります。

その途中に鯨塚への案内板を発見したので行ってみました。住宅が並ぶエリアの裏山といったところに階段があり、そこに鯨塚がありました。例によって案内板の説明を引用します。


勝山藩酒井家の分家で竜島の殿様(3000石)と言われていた旗本酒井家の弁天境内に、鯨を解体する出刃組が1年に1基の供養碑を建てました。
ここには120基ほどあり堤ヶ谷石(地元の石)で作ってあります。
風化したため70基ほどは埋めてしまい、現在52基
鯨塚は供養碑・祈願碑でありクジラの墓ではありません。弁財天は水神であり、財産を司る福神です。碑の大きさにより捕鯨数が分かると言います。
一頭で油は26~7樽(一樽45kg)赤肉は60樽程度
日本の鯨塚の中でも一番多い


肉の量も油の量もクジラは流石に多いですね。このクジラが勝山の町の豊かさを支えていた、貴重な収入源だったのだと思います。

勝山藩酒井家の分家の酒井家(3000石)については元禄地震の津波被害江戸時代の勝山でも記事にしていますが、屋敷はこの場所にあったのですね。板井ヶ谷の場所も初めてわかりました。
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迅速測図を見ると現在地は赤で囲った辺りです。勝山の中心街から南へ行ったところで岩井袋への細い道が1本だけ描かれています。

勝山と岩井袋は勝山藩領として一体になっているので、そこへの連絡路の途中に屋敷があるというのは本家・分家の密接な関係を感じさせます。

板井ヶ谷という地名もこうしてみると、八幡山の険しい山塊と岩井袋から伸びる山の尾根に挟まれた、まさしく谷の地形になっていて納得です。描かれた等高線の密集度から相当な急斜面であることは分かると思いますが、実際に見てみると圧倒されました。

ちなみに読み方は「いたいがやつ」。谷という字を「たに」ではなく「やつ」と読むのは中世の読み方で、それが残っているのですね。

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お祀りされているのは弁財天、その周りに鯨塚です。いずれも風化して自然と一体となった感じが雰囲気があっていいなあと思います。



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