鋸南町の戦争~本土決戦と南房総①~

以前、この世界の片隅にin勝山という記事を2回にわたってUpして鋸南町の戦争被害について記しました。

鋸南町東京湾の入り口の浦賀水道に面しているという関係上、帝都東京を外国の侵略から守る重要な位置にあります。

ペリーの黒船に江戸湾奥深くまで侵入されて日本中がパニックになったトラウマが明治政府、そして軍関係者には強烈に刻まれており、2度とそんな事態を起こさないように東京湾要塞が建設されました。

具体的には富津岬観音崎の間に人工島(第一~第三海堡)を建設し、砲台を整備します。他にも三崎館山にも砲台が建設され、侵入を企てる敵国の軍艦を撃退することを目的にしています。
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こちらの画像は要塞探訪というサイトにあった東京湾要塞の砲台と射程をしめしたマップです。館山と城ケ島が最前線となり、そこから奥へ行けばいくほど濃密な砲撃に晒されるという、まさしく要塞です。

特に館山の洲崎と三浦半島の城ケ島の砲台は、軍縮条約で廃艦になった戦艦(正確には巡洋戦艦)の主砲をそのまま山の上に持ってきて設置したという代物で、その威力は絶大です。



四面海もて囲まれし 我が敷島の秋津洲
外なる敵を防ぐには 陸に砲台海に船


明治初めにつくられた日本海軍という歌の一節が国防に掛ける決意を物語っていると思います。



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日清日露の戦争に勝利した日本は世界三大海軍国の一角に上り詰め、幸いにして日本の国土が戦火に晒されることはありませんでした。

しかし昭和16年から始まった対米戦争は次第に劣勢となり、昭和19年にはマリアナ諸島、フィリピンが陥落し、明治維新以来初めて日本本土に敵軍が上陸する可能性が現実化しました。

本格的な本土防衛の準備が始まったのは昭和20年2月、この時点で関東の陸軍部隊は第十二方面軍に所属しており、東京湾要塞も隷下に入ります。

配下の兵力は要塞の砲兵隊独立混成第65旅団でしたが、独立混成第65旅団は伊豆大島の防衛を担当していたので、歩兵部隊は殆どいないという状態でした。

敵の軍艦が東京湾に侵入する可能性はあっても、敵軍が上陸してくる可能性は強力な連合艦隊がある以上、あり得ない事態なので、ある意味当然です。
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しかし、そのあり得ない事態が現実のものとなった為に、新たに編成された独立混成第96旅団が配備され、主力が房総半島南部に、一部が対岸の三浦半島に展開します。

同時に要塞司令部も従来の横須賀から、館山の北にある船形(現館山市)に移動します。


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